サリー便り6月編

今月は、体調が全くすぐれない月です。アイルランドでひいた風邪に追い打ちをかけるように、花粉症と空咳が併発し、いまだに直っていません。講義等の人前で話す仕事がないので実害は少ないのですが、すっきりしない日々が続いています、英国の天気と同じように。そういう体調の悪さもサリー便りに反映されている可能性もありますので、これまで以上に割り引いてお読み下さい。


6月4日<人を招く楽しみを堪能している英国での生活>

6月6日<フォックスハンティング反対キャンペーン広告>

6月8日<洗剤で泡風呂>

6月10日〜13

<落胆度が大きな今回のパリ滞在>

<ユーロスターが経営難にある理由>

<ユーロスターでもみられる回りへの配慮のなさ>

<悪いときには悪いことが重なる>

6月18日<英国フーリガン騒動が投げかけているもの>

<豪州人の水にあうのはスコットランド?>

6月21日<子供達はイングランド離れ難し>

<色気づく年頃>

6月22日<遊園地つきの卒業祝賀会>

6月24日<子供が他人の家で酒を飲んだら>

6月25日<不愉快な帰国となった両親>

6月29日<真の国際人になるための第三の道>



6月4日<人を招く楽しみを堪能している英国での生活>

5月末に博士論文の提出を終えた留学生K氏が、帰国の途につく。Gさん宅で帰国パーティを開いた。5月で試験が終わった留学生も加わり、総勢19名の大パーティだ。居間と庭にテーブルがちゃんとあるGさん宅だったからよかったようなものの、うちだったらどうなっていたやら。

日本で私はこの手のパーティを自宅でまず開かない。時間的余裕のなさ、マンションという箱ものの使い勝手の悪さから、その気になれないのだ。ところが、こちらに来ると、その余裕がでてくる。その余裕をうみだす大きな要因はスペースのゆとりであり、妻に負担をかけずに済む料理形態だろうか。いや、私自身の時間的、精神的ゆとりがもっとも大きな要因だろう。

いま済んでいる住宅は、2階建てだが床面積は90〓前後しかなく、庭も20〓くらいの狭い家だ(日本に帰っても大きな違和感を感じなくてもいい家だ。英国での家探しに失敗した結果である。ここに住み始めた当時は、われわれはいい家に縁がないと嘆いていた)。床面積は日本とほぼ同じだが、モノが少ない分、スペースの余裕がある。庭は狭いとはいえ、空間的ゆとりを感じさせてくれる。日本でも戸建てに住めば、この手の余裕を味わえるのだろうか。

帰国したら、いま借りているマンションの道路を挟んだ南側サイトに高層マンションができているはずだから、南の空を望めた眺めは消え失せているだろう。さっそく新居を探すことになると覚悟している。ただ、賃貸住宅マーケットが質的にも量的にも低いレベルにある日本での家探しを考えると、頭がいたい。


6月6日<フォックスハンティング反対キャンペーン広告>

キツネ狩りについては5月編で紹介したが、今日の新聞に、一面を使った、キツネ狩り反対のキャンペーン広告が掲載されていた。キツネは犬に喉を噛まれて即死するのではなく、身体の一部を失い裂かれる形で時間をかけて死に至るという反対グループの主張を、狩りで死亡したキツネの無惨な死体の写真を大きく掲げて視覚的にアピールしたものだ。この手のショッキングな写真を効果的に使うところが、敵からすれば嫌らしいところだろう。支持派からどういう反撃があるかが楽しみだ。


6月8日<洗剤で泡風呂>

洗剤を洗い流さない皿の洗い方については2度ほど本便りでも取り上げた。以下に紹介するのも洗剤絡みの話だ。

ある人があるお宅にお邪魔した。暑い日で、子供が風呂に入りたいと。しかも、バブルバスに。その人は、泡風呂用のパウダーか何かを入れるものと思っていたら、母親がもってきたのは台所にあった洗剤。洗剤で泡風呂(世界は広い、未知の世界がまだまだある。洗剤の多目的使用がそこまで進んでいるとは)。たまたまのことだろうと思って、母親が席を外した空きに、子供に尋ねたら何時も洗剤を使うとの答え。そうか、小さい頃から洗剤と親しむ生活をしてきたのだと、その話を聞いて、私は妙に納得した。

泡風呂から出るとき、身体についた洗剤をシャワーで流したか否かは知りたいところだが、その人は帰宅時間になっていたので、それを確認できなかった。その人は、きっと洗い流さずタオルで拭きとっただろうと予想する。私もそう思う。皿と同じように。


6月10日〜13

<落胆度が大きな今回のパリ滞在>

週末から3泊4日でパリに出向いた。昨年の12月にも、気が滅入る英国を離れパリに出向いた。そのときは、英国に嫌気がさしていたこともあって、楽しい滞在だった。しかし、今回は旅疲れが二倍、三倍にも感じられる旅となった。この時期にパリに出向いたのは、パリに来ている、妻の弟ブラッド夫妻に会うためだ。

ブラッドはフリーのカメラマンマンをやっている。その妻エマは、フランス人(いまはオーストラリア国籍)。フランス人らしく(?)、自分のペースを曲げない、決して他者に合わせようとはしない。しかも(?)、太る体質なのかと邪推したくなるほど、食べ物を食べない。酒も、もちろん飲まない。われわれはブラッドらと楽しく食事を、と期待していたが、予期していたように、エマに気を使うブラッドの優しさがネックとなって、1回しか会食はできなかった。

そういうこともあって今回のパリ滞在は不満足なものとなった。以下、今回の旅の満足度が低かった理由を書きとどめたい。


<ユーロスターが経営難にある理由>

ユーロスターは赤字経営が続いている。要するに、利用者が少ないのだ。そうだろう。パリ−ロンドンは片道3時間、料金は往復2万円程度だが、飛行機に比べると値段が割高だからだ。また、よく遅れることも忌避される要因だろう。日本人的な感覚でいうと、気配りのない席の取り方(4人が向かいあって座れる場所に一人が座っていることが珍しくない)、回転しない椅子(景色が行きは前方から後方に過ぎていくが、帰りは後方から前方に過ぎていく)に違和感を感じる。

時間短縮は、英国サイドの問題でダメなようだ。欧州大陸にはいると車を追い抜くスピードで快適に走るユーロスターが、なぜか、英国内では車よりも遅いスピードで、かつ時々停まったり徐行運転で走る。


<ユーロスターでもみられる回りへの配慮のなさ>

回りに気を使い、街中で先に身をかわしたり、通行の邪魔にならないように配慮するのは、日本人の感覚だなと(最近はそうともいえなくなったが)、こちらに住んでつくづく思う。ユーロスターでも、回りの様子など全く気にかけずに、自分のペースでゆっくりと、通路を塞ぐ形で、荷物を整理したり、どこに座るか議論をする人が余りに多い。そういえば飛行機の中でも、長い列ができているにもかかわらず、気にせず、荷物を片づけようとして通路を塞ぐ輩が少なくない。エスカレーターや階段の降りたところで、邪魔になっていることなどお構いなしで談笑する姿も珍しくない。

退いてくれといわれれば、「sorry」といって退いたり途を譲ってくれるのだが、いわないと動かない。「察して」という言葉が欧米にはないのかと思ってしまう(まあ、その言葉が活かされるTPOが違うというだけのことだろうが)。

いつだったか、混んでいるレストランで、終わった客を退かせろと従業員に迫る米国人のために、動いたのは我々だけだった(といっても、リードしたのは、私以上に日本人的な妻だった。私は郷にいれば郷にしたがえの主義で、米国に住んだら、庭に不法に入ってくる米国人を待って銃を構えていてやろうと思っているくらいの人間だから)。インフォーメーションでは、待っている人を気にして、はやく自分の用事を切り上げようとする。スーパーのレジでは財布をとりだし即座に支払いができるように準備し、袋詰めもテキパキといった音がしてもおかしくない迅速さで片づける。地下鉄や列車の切符を買うときは、コインを事前に用意し、表示が出たら数秒以内にコインの投入を終える。マシンが受け付けそうにないシワシワの紙幣で用をたそうとした日には、その弛緩した横着さを1週間以上反省するだろう。

欧米では自己主張しないと誰も、こちらの願うように、期待するようには動いてくれないといわれているが、同じコードを共有していないのだから、当然だ。自己主張しない云々とは次元が違うことを認識しておかないと、的はずれの自己主張を行うだけだ。コードを共有するには、多分、数年の生活体験を要すのだろう。異国での生活が一筋縄ではいかない、根本的な理由だ。

余勢を駆ってこの問題を続けると、オーストラリア人の妻は日本の生活に慣れる中で日本のコードを必要以上に習得し、私は日本のコードから離れる方向で自分の生きる場を模索してきた。水と油の夫婦といわれる所以である。


<悪いときには悪いことが重なる>

さて、今回は、ロンドン在住のN氏のお宅にパリへの出発前日と、パリから帰ってきた日に泊めてもらった。ユーロスターがロンドンに着き、これも驚くほどスムーズに入国審査を終え、地下鉄でN氏の家に向かう。駅でおり、私と子供は改札を出たが、妻の切符がみあたらない(よくあることなのだが)。バックの中を捜してもみつからず、出るにでれず、駅員は冷たく切符が見つからないと出さないと言い放つ。それで妻が切れてしまう(これは珍しい、私がみたのは初めて)など散々な形で駅をでた(余りの剣幕に駅員が呆れてだしてくれた。切符はバックの中の、地下鉄の中で読んでいたパンフレットの中に挟まれていた!)。

しかも、N氏のマンションに漸く辿り着き、ちょっと用事があって、置いていた車を動かそうとしたら、バッテリーが切れていた。こちらの車は、エンジンを切ってもウインカーをオンにしているとライトがついたままの状態になることが珍しくない。どうもうちの車もウインカーを戻していない状態で駐車ししまったようだ。

AA(日本のJAF)に来てもらい回復したが、悪いときには悪いことが重なるものだとつくづく思う。本当に疲れ果てて、翌日、自宅に戻った。


6月18日

<英国フーリガン騒動が投げかけているもの>

欧州サッカー協会が、ついに堪忍袋の緒を切ったかのように、英国政府および英国サッカー協会へ警告を発した。数百名の英国フーリガンが暴徒化し、800名前後が逮捕された事件をうけての警告だが、中身が凄い。もう一度起きたら、英国チームを大会からの外すことも辞さないとの警告だからだ。

何度も本便りで指摘したように、フーリガン騒動は英国社会の一部の、例外的な現象ではなく、英国社会の根元的な部分が必然的、日常的に生みだしているものだ。知らないふりをしているのか、そう認めたくないか、新聞の論調は彼らを例外的で、英国社会とは異質のものと位置づけようとする。欧州からは、英国とフーリガンは、腹違いの兄弟どころか、双子にしか見えないことが、少しも自覚されていないようにみえる。

ただし、暴徒を事前に封じ込めたと評価される、ドイツの対応はフーリガンの家宅捜査をし、パスポートを取り上げるといった強権発動の対応。英国内でも以前から法制化が要請されてきたそうだが、そこはお国柄の違いで、そのような対応は見送られてきた。ドイツの対応は、よく考えると怖いものだ。といって、北アイルランド紛争絡みで、非合法的な汚い手段をいくつも行使してきた歴史に照らすとき、強権発動に踏み切らなかった躊躇に、さすが民主主義の国といった評価を英国に下すことも憚られる。

いずれにしても、他人事ではない。2002年の日韓開催のワールドカップでは、日韓のお国柄がフーリガンによってあぶり出されることになるからだ。


<豪州人の水にあうのはスコットランド?>

義理の両親が2週間以上にわたるスコットランドの旅から帰ってきた。家内の家族は、私にはまったく理解できないくらい仲がいいので、帰ってきても車から荷物を降ろさずに、延々と話をしている。話すことが何故こんなにたくさんあるのだろうと、いつも感心している。多分、真理は逆で、仲がいいから話が弾むというところだろう。では、なぜ、その妻が私となぜ一緒にいるのか・・・余り真剣に考えないようにしている謎だ(笑)。

さて、両親のスコットランドでの話。向こうの人と、イングランド人(日本でいう、英国人)のすました態度を肴に話が盛り上がったとか。そして、「サリーに住んでいるおまえの娘はかわいそうだ」といわれたとか。

妻の父に、次の外遊の機会があったら、イングランドに住みたいかときかれたので、私は迷わず、「NO。次はスペインに半年、アイルランドに半年かな」と答えた。次の機会があればの話だが・・・。


6月21日

<子供達はイングランド離れ難し>

英国を離れる日が間近に迫り、落ち着かない。やり残したこと、やれていないことがあることに加え、帰国後の生活に明るい展望が描けないからだろう。子供達の気持ちも同じようだ。ただ、私の「日本に帰りたくない」とは違い、彼らは「イギリスを離れたくない」といっている。

上の子は、週末を挟んで3泊4日のスクールトリップに行って来た。もの凄く楽しかったとか。それは他の子供も一緒で、その気持ちが相互の関係を親密なものにしたらしく、帰ってきてから上の子は、いつも遊んでいる隣の子ではなく、学校の子供と遊ぶようになった。本人は意識していないが、これは画期的な変化だ。

下の子もイギリスにもっといたいという。2、3月頃から英語が自然と口からでるようになり(バイリンガルの上の子とは年子なのに、なぜか下の子は日本語の方が圧倒的に強かった)、周りの子との関係も急速に変わっていったようだ。

日本に帰っても待っているのは、抑圧的で自由がない学校生活。イギリスにいれば、勉強のことなど微塵もきにせず、毎日過ごせる。私たち親は、放任主義なのか放漫主義なのか微妙なところだが、この1年、こちらのペースで子供達が生活することを認めてきた。別言すると、毎日宿題が出るような勉強スタイルから全く無縁の生活をさせてしまった。時々、罪の意識からか、月に2、3度、日本の教科書を開かせるが、焼け石に水の行為であることは百も承知。帰国後、子供達が苦労するのが手に取るようにわかる。そういう親の心配も子供に伝播しているのだろう。

まあ、私自身が帰国後の生活に夢をもてないのだから、その意味では同じ意識を共有していることになる。帰国を待ち遠しく思わせない国に住む不幸とでもいえようか。皮肉にも、救いは、英国の生活がいまいちだったこと。プル要因ではなく、プッシュ要因で日本に戻れるのだから。逆に、そのプッシュ要因を子供達がもっていないことが彼らの不幸でもあり、幸でもある。

<色気づく年頃>

日本でいうと小6の娘は、イヤリング、マニキュア、指輪、ネックレスなどの収集に余念がない。そういう年頃か。日本だと中1の息子は、相変わらず、アニメのキャラクターやゲームに熱心。髪のスタイルや衣服をちょっと気にし始めたが、拘るほどではない。

と思っていたら、昨日、学校に迎えに行ったとき、学校の門のところで、同じクラスの女の子が近寄ってきて、いい感じで話している。日本だと、まず近づかせないように振る舞うはずだったのに。今日は今日で、日本に帰りたくないという話の中で、「日本にはいい女がいないから」と宣う。さすがワシの息子と喜ぶも、それ以上の中身はなく、誰かの文句を借りてきただけだった。しかし、これまでになかった発言という意味では、大きな変化だ。子供達が色気づく年頃であることに、あらためて気づく今日この頃である。


6月22日<遊園地つきの卒業祝賀会>

今日は大学の卒業式。12月と違い、大半の学部生の卒業式なので、キャンパスは賑やかだ。D君も卒業。卒業証書をみせてもらったが、A4サイズで、噂にはきいていた通り、成績によるランクが書いてある。ファーストクラスか、セカンドクラスの下か上かが一目瞭然。学部・学会によって違うが、平均点50点をとらないとセカンドクラスに入れず、セカンドクラス以上でないと就職も難しいとか。点数によっては卒業はできるが、学位は授与されず、英国内で履歴書に書くときは学士とは書けないらしい。厳しい。

明日は、学内のレストラン等が卒業生に開放され、舞踏会もひらかれるので、皆タキシード、ドレスの正装で一晩中、最後の夜を楽しむとか。驚いたのは、空き地に臨時の遊園地が設置されること。そんなものに乗って何が楽しいのだというのは外野の声。例年、たわいもない遊具にのって楽しんでいるという。もっとも、そこに参加するのはほぼ英国人に限られ、救急車が数台待機する中、酒を浴びるほど飲み、踊り、遊園地で遊びほうけるらしい。

ちなみに、数年前から、この卒業パーティは50ポンドの入場料をとるようになった。以前は、無料で、遊園地は住民にも開放していたが、サリー大が企業的経営の方向に大きく舵をとるようになって、有料化、閉鎖型に変わったらしい。ここにも現代英国の縮図がある。


6月24日<子供が他人の家で酒を飲んだら>

息子と私を除いて、家族の皆がロンドンにバレエを見に行っている。午後は、留学生二人の来訪を別々に受け、彼らの将来のことなどについてずっと話をしていた。夕方6時過ぎ、朝から学校の友達と遊びに出て、昼飯時にちらっと姿をみせただけの息子が、別の友人の母親と一緒に帰ってきた。何かサスピシャスな感じがしたので、何かやらかしたのかと怖ず怖ずでていくと、ドアに近づかず、離れたところから叫ぶようにその母親が話しだした。息子からちょっと話を聞いたのでわかったようなものだが、要は、その子の家に遊びにいって、そこでワインを飲んだ(ほんの少し)というのだ。

その子は自宅でワインを飲むことが許されていて、彼専用のワインが置いてあるらしい。それを息子と別の友人がご相伴に預かったとか。話がややこしいのは、母親が来た理由だ。自分の子が酒の臭いをさせながら帰宅したら嫌な思いをする、酒を飲ませた(勝手に飲んだ)家にきっと行って、どうしてそうなったか聞くだろう。だから、先に説明に来たのだと。何をどういっていいかわからず、微妙な言い回しで対応できるほど私の英語は達者でもないので、何とかその場は取り繕って、帰っていただいた。

ややこしい話だ。飲んだことが悪いというのではなく、飲ませたことで自分たちが責められることを恐れての来訪だからだ。ちなみに、その子の母親は27才で、旦那さんはいない。当然、息子をしかるような話でもないので、気が抜けた。「飲んでみたら、意外にワインは美味しい」との息子の体験が、今回の一件の収穫か。


6月25日<不愉快な帰国となった両親>

妻の両親が今日、夜の便で帰国した。2220分の便と中途半端な出発時間なので、夕食をどうするかをめぐって、何も決まらないやり取りが続く。そういうとき、私は関わらないようにしている。それでも7時には家を出たいと思っていた。外食で余りお金を使いたくない(or私たちに使わせたくない)妻の両親と、最後はパブか何かで食事をさせたいと思う妻の、お互いを尊重する、あれだけ日頃話しているのに、なぜか意見のすり合わせができない、私からすると不思議な関係が、お互いを縛って何も決まらない。

それで中をとったというわけでもないだろうが、テイクアウトで夕食をとろうと、フィッシュアンドチップスを買いに出かけた。ところが、店は閉まっていた。そこで家で急遽パスタをつくることに。それ自体は大して時間もかからないのだが、イチゴをだしたりメロンを剥いたりする。私にいわせると、往生際が悪い。結局、7時15分過ぎの出発。時間ギリギリの5分、10分が大きいことに私は敏感なのだが、あちらはオーストラリア時間。

スムーズに行けるので30分でヒースローとの予想に反して、環状線は渋滞。結局、1時間15分ほどかかって到着。チェックインには長い列。それでも、これで無事帰国と安心していたら、離れ離れの席しかとれなかったという。「いつも二人で」を地でいく彼らにとって、何よりも酷い仕打ち。もう二度とキャセイ航空は乗らないといって、帰国の途についた(キャセイというよりも英国人スタッフの資質の問題だろう。彼ら彼女らの対応の違いで、同じ結果でも受け止め方は違うのだから。最後の最後で英国の悪い部分にだめ押しされたという感じだ)。飛行機の中でうまく一緒の席になれればいいのだが(帰国後の電話だとダメだったらしい)。


6月29日<真の国際人になるための第三の道>

前の前の職場の同期で、いまはブラジル在住のS君が先週火曜日から英国に来ている。再会するのは2、3年ぶりだろうか。昨日はギルフォードに夫婦で来てくれた。ただ、世俗的な観光に対する希求が低いので(笑)、さらっと街をみて、あとはパブでビールというコースになった。今回の英国、スペイン、ポルトガルの旅の大きな目的も、日本食を食べることにあるという。日本食の国際化を探求する旅だとか。「その土地の美味しいものを食べたい」とは違う方向で彼らが真の国際人になっていく様子を、今後とも見守りたいと思っている(笑)。