アイルランド紀行
5月26日からの小学校の中休み(5月26日〜6月4日)を利用して、念願のアイルランドへ出かけた。6月2日までの7泊8日の旅である。楽しみを後回しにしたわけではないが、結果的に、英国滞在残り3ヶ月になったこの時期の旅となった。総合評価はgood、お勧めの地である。少なくとも、英国内の旅よりも堪能できた。英国に行くくらいならアイルランドへ行くことをお勧めする。
<入国まで>
26日は朝6時50分の飛行機なので、TAXIに5時20分に乗り込んでの旅立ちとなった。ヒースローからダブリンまでは1時間弱。当然のように飛行機の出発は遅れたので、ダブリンに着いたのは8時半頃。
入国審査は、EUと非EUに分かれており、前者はパスポートをみせるだけ。非EUである我々も簡単な審査かと思っていたら、どうでもいいことをダラダラと聞いてはパスポートの中身を確かめる、心証の悪い審査だった。大体、この手の職業についている者に良い表情の人間はいないのだが(ものすごい偏見です)、我々の担当者もそうだった。子供が入国管理官になりたいといったら、育て方を間違ったと自殺したくなるだろう(またまた、暴論です)。
<ほとんどの店に常駐するガードマン>
空港でレンタカーを借りる。結局、今回の旅での走行距離は780マイル(1260km)でしかない。1日の最大走行距離も250km前後で、2日だけ。5000kmを走ったスペインの旅で、車での長距離走行は懲りた。空港から街中のB&Bを目指すが、家主が不在なので、そのまま中心部の駐車場に車を入れ、街の散策にでかける。
街中を歩いていて気づいたのは、ほとんどの店舗の入り口にガードマンが立っていることだ。小さな店でもそうだ。ガードマン設置の規則でもあるのかしら、と思うほど。彼らも暇なのだろう、携帯電話や無線機で数軒隣の店のガードマンと談笑している光景がみられる。
<コンビニ、雑貨店は日本的で親しみやすい>
あちこちにSPAが、そして雑貨店がある。品揃えは、日本の店に近い。日本ほどではないにせよ、英国の縦割りの品揃えに比べると数段上の品揃えで、便利だ。
<ビールが冷えている>
アイルランドへ行ったら、英国同様に、冷えてないビールを飲むことになると覚悟していたら、どのバーでもビールがほどよく冷えている。英国のパブでは定番の、ぬるいビールをちびちび飲む「かったるい」飲み方ではなく、皆、ハイペースで飲んでいる。日本の酒飲みに近い飲み方だ。これだけで私なんかは親近感を覚える。
<ギネスよりもおいしいビールを楽しむ>
アイルランドへ来てギネスを飲むのも芸がないと思って、いろいろなビールを試そうとしたが、予想に反して、ローカルビールは少ない。どこにいってもギネスといった感じだ。もちろん、ギネスは英国で飲むギネスと違っておいしいのだが、ビール愛飲家の私としてはちょっと寂しい。
そういう私にとって僥倖だったのは、初日に、音楽をやっていると噂のバーに入ったら、なんと、店舗内でビールを醸造しているところだった。中心通りオコーナーストリートから川沿いに西へ3つ目か4つ目の橋の南にある、the porterhouseという店だ。観光バスが乗り付けていたので旅行ガイド書には載っているかもしれない。そこで醸造されている8種類のビールのうち、4種類を2日がかりで飲んだが、いやー美味かった。アイルランド風シチューIrish Stewもお勧め。
<買い物が楽しい>
買い物は、英国に比べ数段、購買意欲をそそられる。値段が安いことに加え、デザインがいい。スコットランドでは買う気になれなかったセーターを私も妻も即断即決で購入。あと、私はズボン2本、ポロシャツ2枚(これは上記のビールバーporterhouseで購入)、ネクタイ1本、ジャンパー1着を買った。本当はもっと購入したかったが、涙をのんで断念した。昨年来ておけばよかったと後悔することしきり。英国で長期に生活するなら、まずアイルランドかスペインに買い出しツアーに出向くことをお勧めする。
<どこにいってもギルフォードではなかった>
サリー大留学生N君の、英国の街の特徴を称しての名言に「どこに行ってもギルフォード」がある。どの街にいっても同じ店が並ぶ均質の街並みを言い当てた名言だ。N君もアイルランドへ行ったことがあり、その彼がアイルランドも英国と一緒ですよ、といっていたのだが、行ってみると、そうではない。予想以上に、街並み(店揃え)は多様なのだ。小売業の発展度がまだ低い水準にあるということもあるだろう。その意味で、「どこにいってもギルフォード」になるのは、時間の問題かもしれない。でも、多様さを維持しているといころが実にアイルランドらしく、私には思えた。
<ごくごく普通のバーの食事は美味しい>
食べ物は、期待していなかったこともあり、総じて評価する気にはなれない。特に夜は、外れが多かった。その点、昼間は、道路沿いの、地元の人やトラック運転手等が集うバーで、比較的美味しいものが食べられた。これはバーの方が食べ物が美味しい(ビールとの相性の良さもあるだろう)からかもしれない。残念ながら、夜はバーの多くが食事を提供しないので、また7時(地域によって時刻はバラバラ)以降の子供の立ち入りが禁止されているので、仕方なく、通常のレストランに出向くしかなかった。次にアイルランドへ行くときは、昼間の食事に重きをおいた旅をしようと思う。
<どこにいってもB&B>
どこにいってもB&Bの看板が目立つ。最初のダブリンこそ75ポンドだったが、その後は50〜60ポンドと、日本円に換算して1万円にも満たないリーズナブルな値段だった。車でちょっと回ると、どの街や町でも、B&B銀座のような通り、一角にぶつかる。Westportでは、1つの敷地内に3、4つのB&Bが一緒に立地するところがあった。
<あちこちではためく星条旗>
道路沿いのB&Bに多いのだが、家の前に旗を立てている。その多くが、アイルランド国旗、EUの旗、それに星条旗の組み合わせだ。確かに米国人観光客にあちこちで会った。自分の先祖を訪ねての旅が多いだろうと推察されるが、具体的な数字はわからない。アイルランを訪れる観光客の6割弱は英国から。北米からは15%、欧州からが30%弱。伸びているのは欧州からの観光客だ。星条旗が親米の印なのか、客引きのための看板かはわからないが、英国との関係に照らすとき、ちょっと曲解したくなる。
<運転はラフでない、がルーズ>
制限速度は60マイル。英国よりも低い。それだけではなく、全体的にスピードを抑えた運転が多い。60マイル出せるところでも、55マイルくらいで流している(制限速度にプラス5〜10の速度で流れる英国とは違う)。ただし、信号が黄色や赤でも停まらないルーズさは、英国の感覚で運転していると、ちょっとびっくりする。また、英国では、脇道から本道へ入るとき、かなり距離をとって入ってくるが、アイルランドでは、少しの間隔でも、車が入ってくる。走行スピードが遅いからだろう。こういうルーズな運転は、何となく日本に似ている。
<道路は悪い>
スピードがだせない一因は道路の悪さにあると思う。大体が片側1車線。北西部なんかは、でこぼこ道路が多く、1時間に30kmくらいしか走れなかった。ところが、路肩が広くとってある(日本だと無理して2車線にするところだろう)。追い越される車が脇によれば、センターラインをはみ出さずに追い越しができる。半面、対向車が来ていても追い越しをかける車が多く、追い越そうとする車が路肩の方によってくれないと、ヒヤッとする事態に陥る。右から入ってきた車がそのまま路肩の方に入り、スピードがでるまで路肩を助走してから本線に入ってくる光景は、生まれてはじめてみた。
<出会った人は親しみやすく、英語もわかりやすい>
人との接触で、嫌な思いはまったくしなかった(入国審査官を除いて)。それどころか非常に感じがよかった。もう1つの言語(ゲール語)をしゃべる人が多いせいか、英語も癖がなく、わかりやすかった。関係ないが、バーやレストランで横柄な客がいると、大体米国人だった。
<エンヤ、クラナダの故郷を堪能する>
ダブリンでは2日目に酷い雨に打たれ、家族全員が風邪をひいた。3日目の夜はコンサートで帰りも遅かったので疲れ、29日以降は近場を回るだけで済まそうかと弱気になったりもしたが、29日は天気も良く、思い切って北西の先端地域を目指すことにした。目的は、アイルランドが生んだ世界的なケルト音楽グループ、アルタンやクラナダのメンバーが時折参加するというセッション(バーに、いろいろな人が楽器をもちよって行う音楽演奏・協演)をみることだ。
場所はDonegalからさらに車で2時間以上走るBunbeg。この地域は、いまでは誰もが知っているエンヤが生まれ育った地で、われわれもエンヤの父親が経営するバーに立ち寄った。目的のバーはそこから車で3分ほどの町にある。その町のホテルに子供を残し、夫婦で10時過ぎにバーに行ってみた。既にセッションは行われており、バーの中心部に10数名の人がバイオリン、笛、ギター、太鼓、パイプなどを持ち寄り、車座に座り演奏をしていた。不特定の人が集まり、誰かがはじめたリズムにあわせる形で協演がはじまる。全員が演奏する場合もあれば、一部の人の演奏になる場合もある。その参加形態は自在で自由である。しかも、嬉しいことに、ビールをガンガン飲みながら演奏している。
北端の地だけに、ほとんどが地元のお客だろう。あちこちでゲール語での会話が聞こえる(ドイツ語に近い言葉に私には聞こえる)。風邪で喉と鼻をやられていなければ私もガンガン飲むところだが、パイント1杯しか飲まなかった。それでも、1時近くまでいた。音楽を聴いているだけで堪能できたからだ。
<音楽の継承=アイデンティティの伝承>
演奏者の中に、クラナダのリードギタリストらしき人が混ざっていた。こういう形で、クラナダやアルタンのメンバーも時折混ざっているのだろう。
アイルランドは、ケルト文化がまだいまに残っている数少ない地域だといわれる。ケルト音楽は、単調なメロディ、その繰り返しを基本とする歌や曲にもかかわらず、多くの人を魅了している。多くの人を惹きつける素朴で根っこのある音楽性は、こういうセッションの場で醸成されているのだと思う。そのセッションで小さい頃、駆け出しの頃から育てられ、成長して機会を得て売れるようになっても、時折帰ってきて、セッションに加わる。聞くところによると、セッションでは皆が長老に尊敬の念をいだいているとか。彼らが外の世界ではどんなに有名人でも、また現在は技術的に逆転していても、彼らにとって長老は小さい頃からの音楽の師であるからだ。
クラナダやアルタンが、自分の生まれ故郷に帰ってきてセッションに加わることで、世俗のあかを流しているのか、商業ベースに流されかねない気持ちを払いのけているのか、技術的なスキルアップを得ているのか、摩耗した精神や心を浄化しているかはわからない。ただ、こういう場から彼らがエネルギーを得ていることだけは確実だろう。
そのような風土との一体的な関係が、アイルランドのミュージッシャンに、米国や英国のミュージッシャンと違う存在感を与えているといえそうだ。逆にエンヤの不幸は、洗練された音楽を目指したことと引き替えに、風土との間に距離をおいたことにあるのではないか。
この地は、東の3分の2以上が北アイルランドになっている島の北部に位置する。共有すべきものがなかったり、共有の仕組みが生活の一部として組み込まれていなかったなら、英国領になっていても不思議でないところだ。
多くの人が協演するほどにメロディに味がでる音楽形態を媒介に、文化を維持し共有する仕組みの一端に触れた気がした。
<チーフタンズの故郷は観光化されて良さが失われていた>
ちなみに、福岡は多くのミュージッシャンを輩出した土地だが、コミュニティとして彼らを育て支え、また彼らが一員としてその維持に寄与できる場はない。彼らにしてみれば、個人の才覚で東京で成功したとの思いが強く、東京に住むようになると、故郷との縁も遠のいていく。福岡に限らないが、東京で成功したミュージッシャが地元で音楽教室や学校をやって、商業的に成功しても、地元の文化に寄与するケースがほとんどないのは、日常的な活動を通じて維持・再生されている場がそもそもなく、そういうものを母体に彼ら彼女らがでてきたわけではないからだろう。
アイルランドにおいても、そのような良質な場の維持は、今後難しいかもしれない。もっと南の、世界的なケルト音楽ブームを長年かかってつくってきた、オッサンたちのグループ、チーフタンズのメンバーが経営するバーのセッションは、観光客が押し寄せ、素朴なセッションが行える場ではなかった。音楽関係の若者が集まる都市Galwayの、有名なバーのセッションは若者だけで構成されていた。
思わず、観光と文化、コミュニティの関係を考えてしまった。
<ヒースローで入国審査は無かった?>
入国カードをもらい忘れて飛行機に乗ったので、ヒースローにつくと急いで入国審査場に向かった。ところが、辿り着いたのは入国審査場ではなく、荷物受け取り場だった。おかしいなあ、と思って先を急いだら、なんと次は出口。入国審査はないのだ。国内扱いになっていたわけだ。私には合点がいかない。英国からアイルランドへ入ったときは入国審査があったのに、逆はないのだから。英国側がアイルランドを英国の一員と位置づけている意思のあらわれだろうか。