10月31日
<フランスは強い>
10月30日、夜の11時過ぎに旅から帰ってきたが、長距離運転に伴う疲労と、その緊張から解放されたためか、目が覚めてしまい、ビールを飲みながら、その日行われたラグビーワールドカップ準決勝「オーストラリアvs南アフリカ」戦のダイジェストをみる。あまりの好ゲームについついテレビにみいる。
翌日の日曜日は「ニュージーランドvsフランス戦」。ニュージーランド楽勝と思ってみていたら、ご存知の通り、フランスが勝った。フランスは不思議な国だと思う。つまり、個人主義の国にもかかわらず、チームプレイが要求されるスポーツで意外な強さを発揮するのだ。サッカーのワールドカップもそうだった。私の認識不足だろうが、カナダ戦をみたときもフランスは意外と強いなと感心した。
試合後、感想めいた次のようなメールを、福岡在住のマーケッターでラグビーに造詣が深いM氏に送る。
<フランスとニュージーランドの試合をみました。素人目に、フランスはサッカーをし、あくまでもラグビーをしたかったニュージーランドを負かしたとみえました。強い相手に対する奇襲策としてならフランスの攻撃も評価しますが、この試合を契機に、ラグビーが蹴るスポーツに変わりかねないか、外野席にいる私にしても心配です。今週末のオーストラリアとの試合でも同じようにして勝ったら、フランスはサッカーに続きワールドカップを制すことになりますが、それが21世紀のスポーツをどのように変えてしまうのでしょうか?>
この素人っぽいコメントに対するM氏の返答は次のようなもの。
<寧ろ、ラグビー本来の技と知恵の勝負であったような気がします。一見同じキックでも、長いもの、短いものを相手ディフェンスを見ながら巧みに組み合わせたものです。本来フランスのお家芸は自陣ゴール前からでもパスで回していく華麗なプレイです。
今年(夏?)のフランスのNZ遠征の時に個々人のパワーに負けてしまって完敗でした。(南半球のK-1選手のような体格の選手の間を抜けていくのは大変なことでしたので、)フランスはこの今年(夏?)のフランスのNZ遠征の教訓からニュージーランド対策をしっかり確立したようです。
相手ゴール前でのキック、ショートパント。モール・ラックからのNZのフェイントに引っかからない(フランスのNZ遠征時は早い出足でオフサイド)。逆にニュージーランドは相手ゴール前での再三のミスでした。
今回のWカップ、フランスの組み合わせがいいのでひょっとしたらと思っていましたが、オールブラックスにおびえないチームの勝利のようです>
ちなみに、私の高校では体育でラグビーが必須だった。うちの高校はラグビーが比較的強く、体育の先生はそのラグビー部の顧問。私はバックだったが、なぜかこぼれ玉をひろうのが巧く、よくトライを決めた。それでラグビー部に来ないかと誘われたが、授業中の試合でタックルをうけ、鼻の骨が曲がるほど顔面を強打したので怖くなって断った。そういうこともあってラグビーのワールドカップを楽しんだが、見るほどに、ラグビーのおもしろさがわからなくなったのも事実。反則によるフリーキックだけで点数が入るような試合も多く、一般受けはしないスポーツだとの印象をあらためて強めた。
<今日はサマータイム移行日>
10月31日午前2時に、時間を1時間遅めて、サマータイムの平常時間に戻すと昨日ラジオでいっていた。朝起きると、そのままにしていた家の時計のテレビが記す時刻より1時間進んでいる。今日は珍しく、朝方、BBC2は番組をせずに、日本のテレビで深夜番組をしていないときにでてくるマークに似た静止画像(時刻を告げるサインだけが動く)を放映していた。夏はまさにサマータイムの恩恵を感じるが、既に太陽が低いところまでしか昇らない10月になってのサマータイムは、慣れないせいか、やや不自然だった。
_11月1日
<日榮スキャンダルと学生の迷い>
私たちが旅行をしている間に、日榮の元社員が逮捕され、同時に日榮の悪質なやりくちが新聞等で報じられているとゼミの学生からメールがきた。彼の友人の、私のゼミのOくんが日榮に就職を決めていたが、一連の事件で参っているとの知らせだった。
日榮それ自体の実態は私の知るところではないが、一方的に、その手の金融業者を悪者扱いすることに私自身は懐疑的だ。もちろん、個々の酷い対応を許すというのではない。彼らがあそこまで成長したということには、社会的な合理性なり意義がそれなりにあったはずだからだ。これは机上の論理でいっているだけでない。個人的に、銀行がカネを貸してくれず、それら高利貸しといわれる業者から金を借りて事業を続けている事業者を何人も知っているからだ。私の亡くなった父もそうだった。
彼らが酷いことをすることは事実だし断じて許すべきでないが、銀行はそれと同じ、あるいはそれ以上の酷い対応、時にはやくざまがいの脅し、すかしを使う。私だけでなく、マスコミもそのことは知っているはずだ(知らないとするなら、世間が狭いか、机上の正論や世界だけをみて生きていける恵まれた環境にいるからだろう)。そもそも、多くの事業者にとって銀行が、「困ったときに傷口に塩を塗る、トドメをさす、どん底にいる人から服を剥ぎ取る、背中を押して死地に落とし込む」存在であることは常識だろう。そのことを知りながら、彼ら非銀行系の金融業者を一方的に悪者扱いすることには、なにか本質をすりかえたものを感じる。
とにかく、学生には少し様子をみること、これらのスキャンダルはどの組織・企業にもつきもので、要はそれを契機にいい方向に変わる組織・企業とそうでない組織・企業があるだけとメールを送る。
11月5日
<コミュニティの花火大会は市街戦さながら>
今日はGuy Fawkes celebratin。といってもGuy
Fawkesが誰かはよく知らない。何か昔、国会を爆破した人らしい。朝のBBCで道路で花火をすると5千ポンドの罰金だといっていたが、何でこの時期に花火なのか、まったくわからなかった。それが夕方、お隣さんから電話が入り、コミュニティの花火大会(Fireworks
Fiesta)に行こうという。7時半から始まるので子供たちを先にやり、私は皿を洗い終わってから出向く。
地域のコミュニティセンターは、歩いて3、4分のところ。その約30m四方のグランドに人垣ができている。着いてすぐに花火の打ち上げがはじまった。
その花火たるや半端なものではない。ほぼ1時間、炸裂音が響き大きな花火が次々と打ち上げられる。高さは正確にはわからないが、すぐ頭上で炸裂する感じ。木の高さに照らして測ると、中には地上5、6mほどの低いところで炸裂するものも少なくなく、火の粉の多くが地上に飛び散る。
コミュニティセンターは住宅地の中にあり、住宅や小学校に隣接する。日本の常識でいえば、普通の子供が遊ぶ花火を打ち上げるだけでも危ないと禁止されそうな場所。そこで、日本の花火大会よりは火力は少ないにしても、その数分の1程度の花火をドカドカ打ち上げる。火の粉は住宅や芝生、木々に舞い落ちる。子供たちは火の粉を浴びようと、火の粉の落下地点に集う。ひとつ間違えば、遠巻きにする人々を直撃しても不思議はない。まさに、映画で見る市街戦を彷彿とさせる光景。これをあちこちのコミュニティでやっているわけだ。
日曜日も花火大会はあちこちで行われていた。花火を勝手に公道や公共空間でやることが禁じられているが(自宅の庭でやるのはいいみたい)、このような花火なら、さもありなん。
<野生の証明?>
以下、偏見に近い見解を。1時間の花火大会は楽しかったが、風が冷たく震え上がってみていた。その中、子供たちの中には半袖、Tシャツで飛び回る輩がいる。20年ほど前にカナダにいったとき、10月にもかかわらず、湖で泳いでいる人、トロントでは冷たい雨にもかかわらず、傘をささずに平然と雨に濡れながら歩く人々に驚いた。雨に濡れることに神経質なほどに気を使う日本で生まれそだったせいだろうが、それ以来、欧米の人が雨や寒さに強いことには、いつもながら感心する。
最近では日本でも、雨に濡れることを厭わない若い人が増えてきたが、こちらは徹底している。小、中学生は登下校時にまず傘をささない。隣の子にきくと、傘をさすのは「格好悪い」と。ちなみに、家の近くの猫も、雨が降る中、家の前の垣根を止まり木に、平然と濡れたまま座っている。
一つ間違うと大事故になりかねない花火大会の様子といい、常に危険および自然と隣り合わせに暮らしている感じがする。サリー便りに前にも書いたが、こちらの子供たちは、戦争や災害に見舞われても、平時との格差を余り感じることなく移行できそう。子供の話だと、1週間、上着はもちろん、下着を着替えない、シャワーを浴びなくても平気な子がいるという。
またまた話が飛ぶが、小さい頃から雨に濡れることに慣れ、芝生で遊んだりボールを操ることに親しんでいる人がサッカーやラグビーをやるのだ。日本の選手にとって、このハンディは意外と大きいのでは(サッカー・ラグビー選手に必要な年少期の訓練には雨の中で傘をささないことから始めるべきかも)。
11月6日 <オーストラリア優勝!>
昨晩の「ニュージーランドvs南アフリカ」戦はテレビ中継もなかった。接戦でいい試合だったはずなのに。
今日はファイナル「フランスvsオーストラリア」戦が3時からキックオフ。妻が昨日からロンドンのコンファランスに参加しており帰ってきていないので、午前中、ダウンタウン(英国流の言い方をするならハイストリート)に買い物へ行き、試合に備える。
そういえば、昨晩妻から電話があり、宿泊先のB&Bで90ポンド盗まれたと。知り合いの紹介だったところでもあり、鍵がうまくかからなかったが、そのままかけずに会議に出向いたらしい。たかが90ポンド(1万5千円)にもかかわらず、現金をもち歩くことをうちの妻は極度に嫌う。自分でそのことに如何なる合理性があるか否か考えて欲しいのだが・・・・・・これ以上の詮索は家庭の平和のためにやめておく。
犯人は様子をずっとみていたイタリアから来た10代後半の男らしい。なぜなら、外国人は彼しかいなかったから。なぜ外国人が犯人かというと、妻が置いていったのは10ポンド紙幣10枚で、うち1枚はスコットランド紙幣。それだけが残されていた。使えないと思ったのだろう。そういう判断をするのは外国人、しかも英国に詳しくない若い人だろうという推論だ。彼は恋人とイタリアから来ている。イタリアでは中絶ができないので、ある組織の助けできているとか。まあ、大袈裟にすると、彼らを保護しているB&Bの人にも迷惑がかかるというので、警察沙汰にせずに妻は帰ってきた。
寄り道にそれたが、試合の方は中盤からオーストラリア圧勝で終わる。ニュージーランド戦でフランスがみせたキックアンドランの策が全く通じない。1回しか通じない策だったのか、オーストラリアの方がそれに備えて万全の策を講じたのかは私にはわからない。
こうして、ラグビーワールドカップは幕を閉じた。皮肉にも、今日はオーストラリアの共和制への移行が選挙で否定された日だ。試合後、オーストラリアの選手はエリザベス女王からメダルを授与されていた。女王は来年5月に訪豪するとか。
11月7日<車の運転でははじめて警察に捕まった:ロンドンでは左折禁止に注意を>
家内が日曜日もロンドンの会議に参加するし、娘がリスに餌をやりたいというので、車でロンドンに向かう(息子は留守番、本人は大喜び)。ロンドンまでは20数マイルなので30分くらいで着く。それでも、さすがに目的の、中心部にあるリージェントパークまでは道に疎いこともあり、時間がかかる。目的地まではほぼ1時間かけて到着。
リージェントカレッジに妻を残し、私は娘と夕方4時までロンドン中心部をぶらぶらする。ハイドパークではリスに会えるが、パンでは来てくれない。マークアンドスペンサーで栗を買って再度挑戦。最初は警戒していたが、慣れてくるとリスの方は図々しくなり、こちらの身体に飛び乗ろうとする。リスに噛まれると大変なので、適当なところで退散。
ハイドパークの北では朝から、自主的な演説会が行われていたが、3時半を過ぎても、やっている。6〜7人ほどが椅子の上に立って自己の説を演説、なかには群衆とやり合う場面もあった。
4時過ぎに妻と落ち合い、帰路につく。帰り道はよくわからない状態で出発。大きなハイウエイに入ろうと、大きな通りから左折したら、50メートル先に警察が待ちかまえていた。右折禁止はよくみるので注意しているが、左折禁止(一方通行ではない途だ)ははじめて。実は、左折するとき、横断歩道も青になっていたので何か変だと思いながら曲がったのだ。
高校生のときから15年間ほどオートバイにのっていたが、その間、一度、後ろからすっと来て側に止まった白バイに「スピードを出しすぎているぞ」と注意されて以来、この30年間近く、警察の厄介になったことはない(そういえば思い出したが、高校時代、別の件で2回ほど警察の厄介になった)。
妻は懸命に道がわからず云々と言い訳をするが、警察は免許をと。私の免許をみせたら、国際免許は点数が引けないので本来なら裁判所にいってもらうところだと(このとき、かなり厳しい言い回しだったらしいが、英語に堪能でないとその手の言い回しに鈍感になってしまう。これには良い面と悪い面がある。今回は前者)。結果的には許してもらったが、ロンドンで運転するときは左折禁止にも注意しないと。
その後、うまくハイウエーにのれたが、なぜか道を外れ、結局2時間かけて帰宅した。東京でもそうだったが、自分なりの土地勘を掴むまで大きな都市では時間がかかる。
11月11日<英仏の牛肉戦争は国際関係論の格好のケーススタディ、そしてフランスは対外交渉でもしぶとい>
EU委員会は、フランスの英国産牛肉の輸入禁止をやめるように勧告したが、フランスは受け入れない。まだ、未解決、不確かな問題が残っているとの対応。10月から延々と続いている英仏牛肉戦争(英語ではAnglo-French
beef war)もブリュッセル(EU委員会)での決定で終わりかと思った。、新聞もそういう期待をこめた記事を書いていたら、フランスはブリュッセルの勧告に対して断固のNO、というか、しぶとい対応(たとえば、店頭で販売する牛肉についても英国産、産地等を明記するように主張。当たり前のようだが、EUのルールではその必要はないことになっている)。
時折、フランスは日本にとって嫌らしい国に映るときがある(閣僚の暴言や貿易交渉等で)。しかし、今回の一連の問題を見ていると、日本だから特別に意地悪をしているのではなく、どの国に対してもそうであるようだ。こういう外交上のつき合いに慣れているはずの英国ですら、日本と同じような対応をしているのをみていると、同じ島国(英国の新聞等をみていて感じるのは欧州諸国から仲間外れにされることに対する潜在的な恐怖感、日本とアジアの関係に、程度はずいぶん違うものの、似ている)であることを感じる。
一連の動きを見ていると、かつてサッチャーが「英国の恵みは英語圏からもたらされ、災いは非英語圏からもたらされる」(英語の文章は正確に覚えていないので割愛します)といった意味が実感できる。
もちろん、アンチ米国への感情も脈々とある。先月のゴルフ大会での米国プレーヤーの非紳士的な振る舞い(18ホールが終わる前に勝利が確定したプレーヤーが喜び、ファンも大喜びした件・・・日本で報道されました?)に対する批判や、一貫したアンチ・ハリウッド的な映画論評などとなってあらわれているのだが。
といって、フランスが敵かというと最後はパートナーとなる。喧嘩するほど仲がいい、ではなく、国同士の利害の一致は本質的に難しいことを共通の認識に自己主張しているようにみえる。韓国との関係で日本が学べる点なのだろうか?その答えはいまの私にはだせない。
<今日は第一次世界大戦の終戦記念日>
今月に入り、政治家やニュースキャスターが一斉に襟に赤いポピーの花をつけだした。赤い羽根か何かかと思っていたら、第一次世界大戦の終戦記念日に向けた、哀悼の意味をこめた飾りだった。戦場には赤いポピーだけが咲いていたからだそうだ。
どこで手に入れるのだろうかと思っていたら、スーパーの前に立っている、首から箱を下げたご老人からいただけた。赤い羽根運動と違って、ただ立っているだけ。お金はと聞くと、ただで持っていっていいと、もちろん、気持ちはいただくと。さすがチャリティーの国。押しつけがましくしなくても、国民が支援する(14日は大々的に記念式典が各地で行われた。その際のテレビ報道によると、ホビーに集まった募金は19百万ポンド、35億円に達したという)。
11月17日<英国紳士の国は理想論?>
どこの国でも、自国が達成できない目標を掲げ、いつの間にか、それが自国のキーコンセプトになる。英国=紳士の国説もその1つだろう。というより、1つのキーワードで英国を語ること自体が英国の多様性、というか平均値を無視する気がする。
このように思わせる材料は余りに多すぎて、いちいち書きだすと切りがないが、今日はそれを象徴する事件があった。
今日は、イングランドとスコットランドのユーロ2000のプレイオフ第二戦。先週土曜日に2−0でイングランドが勝ち、スコットランドは今日、少なくとも2−0、できれば3−0で勝たなければならない。結果は1−0でスコットランドが勝ったが、規定通り、ユーロ2000への参加権を得たのは、点数差で多いイングランド。
私たち家族は、アイルランド、スコットランドに対するシンパシイを有す。だからというわけではないが、試合前のスコットランド国家斉唱がイングランドファンのブーイングによってかき消されたことには驚いた。お互い様という意見もあろう。だが、少なくとも、英国=紳士説はこれによって十分棄却できる。サッカーファンに関しては特別の連中だとみる向きもあるが、多くの国民が一喜一憂するスポーツであり、よくもわるくも、英国の総体が反映されていると考えられる。
英国を見るとき、一枚岩でないことに配慮する必要性を痛感する。特に、欧州一般にもいえることだが、個人差が大きく、日本人的な感覚で言うと、下の方に重心があるのだ。一部のエリートがその国を象徴しているのか、多くの一般の国民がその国を象徴しているのかは難しい問題だ。
英国に来てその実態を知るにつけ、おしなべて平均値が高いオランダ人が、こちらでは馬鹿にされやすく、ヒットラーがユダヤ人の次にホロコストの対象に予定していたということが納得されるのだ。つまり、上の人が目立つ国からみると、上の人が目立たなくてもいい国は、評価が低い(ヒットラーは、それに加え、おしなべて優秀な国民性に嫉妬したのではないか)。こんなとき、日本とオランダの似たもの同士的な部分を感じる。
以上、英国、米国よりも「オランダに学べ」と思っている私の、やや個人的感情に引きつけた見解でした。
11月18日<BBCとNHKの違い>
NHKとBBCの違いは、ご存じ「モンティーパイソン」や「ミスタービーン」を制作していることにつきる。これ以上の解説は無意味だが、だめ押しすると、
@商品の評価番組をやる:たとえば今日のプログラム「top
gear」では、この車は良い悪いの評価を明確に下す、企業への苦情を消費者の証言を交え、かつ企業の担当者を招き詰問する。
A英国の陰部・暗部を冷徹に表現するドラマを制作している。モンティーパイソンと同じような俗悪番組(といっても言葉は隠語、妙な言い回しが多くよくわからない。私はこの手の番組が日本でも好きだ)「League
of Gentleman」(金曜日10時)は、汚い言葉、汚いシーン、人種差別的な想定等であふれる。「The
Cops」(月曜日9時)は、警官も普通の人間であることを、というよりもそもそも警官になる奴にろくなのはいないというこちらの国民の多くが抱いている見識が制作の背後にあるのではないかと思わせる、人間的に欠点だらけの警察官がたくさんでてくる番組だ。いずれもBBC2という、日本で言えばNHKの第2放送にあたるチャンネルの番組である。
Bターミネーターのような娯楽映画を放映する。
少し深読みすれば、たとえ警察官といえども、日々彼ら彼女らが接する相手、つまり英国という国がろくでもなければ、それに合わせて警察官もろくでもなくなるとの仮説の下、英国社会の現状を冷静に描いているとみれる。
11月20日<チェリーブレアたたきの終演>
チェリー・ブレアに4番目の子供ができたニュースは既に日本にも流れていると思うが、それが明らかになる少し前は、チェリーたたきがマスコミでおこっていた。チェリーがブレアに同行してレセプション等に出席するが、そのときの経費はどうなっているのか、彼女が着ている服は高級だがそれは経費で賄われているのかといった点に対する疑問、批判である。皇室の経費についても真正面から攻撃する国だから、そのこと自体は不思議でもない。
それらの報道の中で明らかにされた点をいくつか紹介しておくと、チェリーには、ヒラリーがホワイトハウス内に事務所をあてがわれているのとは違い、事務所などもっていなし、提供される公費は微々たるもの、洋服代も提供されていない。パートタイムのアシスタントは公費で賄われている。南アフリカで開催されたコモンウエルスサミットにブレアに同行していったとき、チェリーの飛行機代、ホテル代、食事代は公費で賄われたが、それ以外は自費で賄われた云々。
以前は、チェリーのファッションのダサさが度々マスコミの攻撃の対象になっていたらしいが、最近は逆に、ファッショナブルになってきたこと、とりわけ高級ブランド品を身につけるようになったこと(弁護士として4千万円稼いでいた彼女は以前から着ていたとの話もある)が批判されるようになった。どっちに転んでも批判されていたわけだが、さすがに子供ができたことが明らかになって以降は、その種の批判はぴたっと止んだ。
ちなみに、閣僚は年間11万1315ポンド、税引きで9万4157ポンド、首相は15万4187ポンド、税引きで10万9768(2千万円弱)ポンドだそうです。参考までに、英国の平均所得は2万ポンド強、大学の先生の平均給与は3万ポンド強。
11月21日<BBCのタッチ>
終戦記念とミレミアムをコンセプトに今月は関連の番組が放映された。特にBBCは、11月13日、20日、21日とドラマを放映した。13日は第一次世界大戦で、行って戦ってもほとんど意味がないトルコへ派遣され全滅した部隊のドラマ。最後に、あっけなく、主人公やその子供、友人が敵に捕まり後頭部を次々と打ち抜かれ死んでいくシーンはやりきれなさをおぼえる。
20日、21日はボスニアへ平和維持軍として派遣された英国の兵隊たちを主人公にしたドラマ(Warrios)。これも、取り決めで怪我をしている人以外、保護することを許されていない平和維持軍が如何に多くの人を見殺しにしたか、目の前で殺されていくことを止められなかったを描き、多くの兵士が心に深い傷、自分を責め自分をダメにする形でしか癒すことができない傷を負ったことを、救いようがないタッチで描いたもの。
正直言って、このドラマの内容は私にとって衝撃的だった。文字ではなく、映像でその実態をみせつけられたからだろう。平和維持軍の実態をうかつにも日本では、ここまでだとは認識していなかった。
このような共通体験があったから、1995年のスロベニアでは、強行派である米国主導の武力介入が最終的な合意を得たのだろう。もちろん、スロベニアでも、平和維持軍が多くの人々が虐殺されるのを止められなかったことが新聞等で明らかになっている。
明石氏の弱腰的な対応を批判する米国のオルブライト女史に、あのときは反発を覚えたが、どうしようもない現実があったことを知っていれば、見方もかわっていたかもしれない。もちろん、問題がそう簡単でないことは、今年のユーゴ紛争やチェチェン紛争が教えるところだ。
そのような難しい問題、救いようがない現実を淡々と描くところにBBCのタッチがある。
私は小学校の6年生か中学1年の時に、Man
in a suitcase、日本の題名で「銀髪の狼」、「スーツケースの男」をみて、かなり感化された。その英国のテレビドラマ(BBCではないかもしれないが)は、東側へスパイを送り込むために裏切り者の役をおわされ追放された元CIAのエージェント、マッギール(俳優はリチャード・ブラッドフォード。題名は忘れたが、マーロン・ブランド主演の映画で最後の方で、ブランドを殴る役ででていた)が英国で私立探偵として活躍する話。というのは正確でない。活躍するという表現からほど遠い、後味の悪いストーリーや、文化、価値観が違うアメリカ人が英国社会の中で孤軍奮闘する様が展開する。
当時(1960年代の後半)、時代が時代だけに、現実、歴史の暗部、冷酷さを題材にする映画が多く、ご多分にもれず映画少年だった(中学、高校と年間100本以上をみていた)私は、それら映画を見、どうしようみない憤りや怒りを心にため込み、救いようがない世界に自分がいることを実感していた。といって、その手のタッチが嫌いだったわけでなく、銀髪の狼も、見終えてすっきりしないにも関わらず、再放送、再々放送をみていた(このときの絶望感が私の淡泊な、刹那的な性格に反映されていると時々思うのだが、どうだか?)。
しかし、こちらにきてBBCの今回のドラマを含め、多くのドラマを見て、あれは時代だけでなく、BBC、あるいは英国のタッチであることをあらためて確認した。
妻は英国はもういい、次は米国に住もうといっているが、自虐的な趣味がある(?)私が、その意見に同意するかは定かではない。
11月22日<暴露の値段>
一昨日のニュースによると、ベストセラー作家であると同時にロンドン市長選の保守党候補であったジェフリー・アーチャーが嘘の証言を友人に頼んでいたことが、その友人の告白で明らかになった。ダイアナをめぐるスキャンダルも同じ構図だったが、英国では珍しくない友人や元恋人の発言で、注目を浴びている人が一転、世間の攻撃対象になる。今回も金に困った友人が金ほしさに暴露したとのこと。
保守党党首のヘイグは再三、アーチャーの過去を調べれるように周囲から忠告を受けていたらしいが、そうしなかったと批判の対象になっている。ただ、日本のミッチー事件とは違って、ヘイグはその手のマスコミからの質問にちゃんと一人で対応する。
アーチャー氏は写真を見てもらえばわかるが、メディア王マードック氏と顔が似ている。悪役顔だ。新聞等でも書いているが、売れっ子作家で態度が大きくみえるのか、足を引っ張りたい人が多くいたらしい。
もちろん、本当のところは、スキャンダルが売れるからだろう。アーチャー氏の過去の暴露は、労働党の候補選考がドタバタしていただけに、様々の憶測が誘発されるという意味でタイミング的にはぴったりだったようだ。
11月25日
<ratingが国を滅ぼす>
rating(ランク付け、順位付け)・・・・・日本では聞き慣れないことばだが、英国ではもっとも頻繁に見聞きする単語である。そして、もっとも嫌なことばでもある。
何でも賭の対象にする国らしく、何でもratingするし、そのことに対する抵抗もないようだ。たとえば、
英国の大学はいまや米国流の大学になっている、サッチャーのおかげで。論文の質と数で学部、学科の評価が徹頭徹尾なされ、それに応じて補助金が配分されるそうだ。明確といえば明確だし、何か味気ないといえば味気ない。何でもランキングする(賭事大好きの国民性)お国柄だから、米国に倣ったというよりも、先祖帰りしたと見た方がいいのかも。
そのratingの最たる、そしてもっとも醜悪だと思われるのが中学校のそれだろう。丁度、この時期は、来年度の小学校、中学校を選ぶ時期にあたる。その際に参考とされるのがrating表(the
secondary school performance table)だ。どの新聞にも掲載される。以前のサリー便りにも書いたが、学校が自ら生徒をratingし、それを公表する義務があるので、データは自己申告データをベースにしたものと考えられる(正確なところは調べていない)。
Guardianに載っている表を紹介すると、私立、公立のすべての中学に対する次のようなデータが示されている。
@GCSE(A level and equivalent vocational
qualifications)がA−Cの学生比率98年
A同比率の96-98年の平均値
BA−G(an indication that school are doing
at least something for their low-achievers) の学生比率
CGCSE平均点
DAレベル以上の試験に合格した学生数
Eその学生の平均点
FAdavanced vocational qualificationsを得た学生数
G同平均点
Hspecial educational needsが必要な学生数
I学生数
当然のことながら、@からGが高い学校は良い学校でHも低い。
私は偏差値世代ではなく、日本では偏差値で自分や大学をいとも簡単に位置づけてしまう学生にどうしようもない違和感をもっている。偏差値世代にとって、英国のratingは妙に映らないかどうかは興味のあるところだが、私にとって、中学のratingは、どうしようもないものにみえる。階級的なものが、姿を変え、装いをあらたに現代を支配していると考えると、英国的な社会構造がうみだしたものといえなくもない。
<消費者のためを錦の旗に進むratingのさらなる拡大>
このratingを低年齢で(7歳、8歳で)、かつ回数を多く実施しようという動きや提言がある。そのような動きや提言が依拠する理由は、基本的に、「情報を提供することは消費者の利益になる」につきる。
小学校までランク付けすることが、どのような社会を生みだすかを想像すると、ぞっとするが、そのような感覚はこちらでは通用しないようだ。なぜか、Guardian
Independentなど社会派新聞でも批判的な論評がみあたらない。1つの仮説として考えられるのは、教育に関しては既に絶対的な格差があって、社会的な発言の機会がある人たちはratingの恩恵に浴していて、その裏面の存在にすら気づいていないのではないかということだ。今後の課題としたい。
もちろん、ratingに異議を唱える話もないではない。ただ、私が目にしたのは残念ながら大学に関してのものだ。政府は、就職状況を大学のratingの指標に加えようと検討しているという。大学生の卒業6月後の非就職率は我がサリー大学が一番低く0.6%、オックスフォードが5番目で1.5%だ。これらの指標を大学のratingに加えようというのだが、Warwick大学の研究によると、就職率を規定する要因は性差、家庭環境・出身などが無視できない。特に重要なのは、他の条件が一定なら、貧しい家庭の出身者ほど、女性ほど非就職率が高くなる傾向があることだ。
以前のサリー便りにも書いたが、豊かな家庭の子供が良い学校へ行ける構造が歴然としてある(日本にもあるが、それよりも固定的で構造的)。所得階層の上位2グループ出身者が占める割合はオックスフォード、ケンブリッジで8割、それらが低い大学だと同比率は3割でしかない。この構造を前提にするとき、就職率をrating指標に加えることで何が反映されるかは明らかだ。願わくば、日本ではratingがキーワードにならないことを(既に嫌な予兆はあるが)。
11月27日<意思決定の多様さと自国の研究者を信頼する国々>
さすがに英仏の牛肉問題は新聞の一面を連日のように飾らなくなったが、全面解決はまだみていない。
今日の新聞によると、イングランドとウエールーズ、スコットランドにある209の地域教育委員会のうち、59の委員会が、学校数に換算すると2万5千の公立学校のうち6千校が、英国産牛肉の利用を依然として禁止しているとのこと。狂牛病事件以来の禁止措置らしい。英仏牛肉紛争の過程でEUの科学者が英国産牛肉は安全だと表明したにもかかわらず、禁止措置を撤廃しようとしないので、農林大臣がそれら教育委員会に禁止措置を撤廃するように文書(letter)をだしたという。
英国の意思決定は一枚岩ではないということがよくわかる。
他方、フランスでは、EUの科学者が英国産牛肉の安全性にお墨付きを与えたとき、フランス政府はフランスの科学者が安全性に疑問があるといているのだから、輸入禁止措置は撤廃しないと表明した。
日米間で同じような問題が起こった場合、日本の科学者が米国の科学者と違った見解を表明したとして、政府は日本の科学者を信頼してくれるだろうか、そもそも米国の科学者と異なる見解を表明する研究者の声が公にされるだろうか、政府の決定に盲目的に従うのではなく、独自の見識と責任に従い、意思決定を下す自治体があるだろうか。牛肉問題が照らし出してくれた、国民を、地元民を守る仕組みの彼我の大きな違いである。
11月30日
<サバイバルを教える水泳の授業>
子供たちにとって学校での一番の楽しみは、毎週火曜日のプールだ。となり町までバスで学年別にピストン輸送ででかける。
子供の話によると、こちらの子供は水泳がうまくない、みんなちゃんと泳げないという。自分たちはちゃんとクロールや平泳ぎができるし、長い距離を泳げると自慢げだ。こういうアホな優越感に水をさすのが親の役目と思っている私は、「彼らをなめるのではない、下手に小さいときから上手に泳げる日本人は大きくなっても伸びないが、こちらの人間は中学、高校、大学になって本格的にやりだすと日本人よりも凄い水泳選手になるのだ」とコメントする(意味が通じたか否かは不明だが)。
もちろん、子供たちがプールが好きな理由は、優越感にひたれることではなく、自由に飛び込みができる、プールは段々深くなる構造になっていて片側の深さは3メートルある、そこで泳いだり潜ったりできることにある。つまり、自由なのだ。
先週は、その3メートルのところに、ものを投げて潜って取ってくるゲームをやったらしい。そして、今日は、普通の服を着たまま泳ぐ練習らしい。巧く泳げることよりも、水に親しむこと、サバイバル術としての水泳を会得することに、目的の1つがあるようだ。
<子の心、親知らず>
そのプールで先週、上の子の洋服が椅子の下の濡れたところに落とされ、靴がのっけてあったらしい。その日はたまたま私が迎えに行った。そのことを学校で平然と話していたので、強い奴だなと思っていたら、家に帰った途端、泣き出した。そして、よく意味もなく、こづかれると告白した。
多くの海外生活者が体験する、学校での子供に対するいじめは、我が家にとっても例外でなかったわけだ。年齢的にいうと、英国の場合日本よりも1年はやいので、上の子はセカンダリースクールの1年、下の子は小学校の6年生になる。しかし、日本で小学校6年生、5年生だったので、こちらでもそれに合う形をとった。他の生徒は年齢が1つ上なのを知っているらしく、何歳だとしつこく聞かれることが多いという。しかも外国人、英語も決してうまくない。
さらに、これは妻の印象だが、なぜ大学の先生の子供がわざわざ、うちの学校に来ているのかという反発もあるらしい。以前のサリー便りでも書いたように、教育委員会が紹介してくれた小学校は6月時点で欠員がある小学校。この時点で欠員があるということは、問題があって人が集まらない小学校だということ。ギルフォードの中の貧しい地区に立地する、いろいろ問題視されてきた小学校であることは最初の頃、書いた通り。
そういうこともあってか、たちの悪い(好きな言葉ではないが他に表現がみあたらない)子供が多い。よくモノが盗まれる、親が先生に汚い言葉を浴びせながら口論する、喧嘩がすぐ起こる(上の子は最初、サッカーを楽しんでいたが、あまりに酷い喧嘩が頻繁に起こるので嫌気がさして今はやめている)等々。校長は実力行使派で、かなりタフな面(格闘技系)を生徒相手にみせているらしい(子供の話)。
下の女の子は「Japan、Japan」とからかわれたら、「UK、UK」とやりかえすタフな奴で、友達もいなければいないでなんとかなる。その点、上の男の子は、友達がいないと生きていけないような奴で、それだけに人間関係に対してナイーブ。プールの事件も、やられたことよりも、周りが無関心だったのがショックだったらしい(日本では誰かが同情の声をかけてくれるが、こちらはそのような事件が珍しくないこともあるし、基本的に自分と関係ないことに無関心)。
日本では、こんな学校に行くことはあり得ない、その意味で良い経験をしていると励ますが、いっている私自身が励ましにならないことを知っている。